地方国公立大学生が大学生活を振り返る

ひのひかり ネタ・小話 大学

こんにちは。ひのひかりです。今回は大学時代を振り返ってみようと思います
自分の経験談なので「ほ〜ん(鼻ホジ)」程度で見てください。見せ物としてどうかとは思いますが、社会人になった自分が見る分には割と面白いなと思った(小並感)

【caution!】12〜3月にこの手の記事の閲覧数が増えるのですが、あくまで経験談です。

目次

自己紹介

東日本出身で西日本の大学に通う文系大学生です(当時)。
これは地方大学あるあるなのですが、所在地や学部を話すと簡単に特定できてしまうため、西日本の国公立大学くらいの情報で堪忍してください。学部も詳しくはお話できませんが、人文科学系統もしくは社会科学系統です。

https://hinohikari.net/hinohikari/

自己紹介については専用のページを設けているので気が向いたら見てもらえたらなと(3分あれば読み切れます)。

進学の背景

一応進学校に通っていたので「進学するか否か」ではなく「どこに進学するか」で考えていました。
当時は社会科(特に日本史)が好きだったため歴史学を学びたかったものの、史学の学べる国公立大学は私の学力では行けそうになかったため、センター試験受験後に変更しました。

ここからは大学1年〜4年の生活を(大学4年当時の私が)振り返ります。
【注意⚠】学歴コンプ、歪んだあまのじゃく的思考が含まれています。ご注意ください。

大学1年

入学前

今となってはしょーもない話ですが、大学1年前半は学歴コンプとの戦いでした。
私は国公立大学の前期試験に落ち、私大受験も大体落ち、国公立大学の後期試験(3月上旬受験、下旬合格発表)を経て大学生になりました。今思うと3月下旬に4月上旬から通う大学が決まるとか頭おかしいと思います。

前期試験で受かると思っていた私は後期試験で選んだ大学は極めてテキトーに選んでしまったため、当時は全くと言っていいほど乗り気ではなかったです。

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自業自得で不本意入学をすることとなった私でしたが、当時は本気で編入試験で転学を考えていました。笑
ちなみに理由を挙げると、

  • 単純に志望校に行けなかったこと(正直前期試験も志望校か怪しかった)
  • 後期試験で合格した大学の地域が想像以上に田舎だったこと

の2点です。当時は大学の肩書こそ全てだと本気で思っていたため合格しておきながら憂鬱でした。
学歴コンプの人間って割とこんな思考なんだと思います。

https://hinohikari.net/entry/hkr/university

ちなみに自分の通う大学については上記で触れています。合わせてどうぞ。

入学直後

先述の通り転学するつもりだった私は、輝かしいキャンパスライフを思い描くことなく大学に通い始めました。
また、転学するなら友人もいらないよねって考えを持っていました。が、その思いとは裏腹に1日目のガイダンス前に話す人ができました。
これは別に自分のコミュニケーション能力が〜とかの話ではなく運が良く、もし彼らがいなかったら本当に転学してたのではと思います。

あとこれは余談ですが、東日本の私には西日本の人の言葉がみんな関西弁に聞こえてました(笑)
語尾もそうですが、イントネーションがまず違うんですよね。
【蛇足の蛇足】岡山弁、岐阜弁、広島弁、香川弁、福井弁、大阪弁、播州弁、鳥取弁、京都弁、博多弁、長崎弁など色んな方言を話す人と知り合いになりましたが、「へぇ〜香川って関西弁話すのか」といった感じで違いがサッパリ分かりませんでした。

前期

①講義について

1年前期は特に必修科目が多く、受講可能な講義数を最大で取ったこともあり言うほど自由ではなかったです。

その必修科目も基礎となる座学が多く、そのうえ外国語学部ではないにも関わらず週3で英語があるという謎カリキュラムだったこともあり、正直クソつまらなかったです(他の大学もそうなのかな?)

クソつまらなかった、とは言いましたが講義時間が長いこと以外はそこまで大変とは感じませんでした。3月中旬まで受験勉強してたような人間ですしお寿司

②サークル・友人について

何度も言うように当初は転学を考えていたためサークルなんてもってのほかでしたが、新歓(新入生歓迎会)にはいくつか参加しました。まぁ結局入らなかったですが
ただ、昼休みや放課後に友人とテニスやバドミントン、キャッチボールやピアノなどで勝手に部室にお邪魔したことはありました。自分にはこのくらいがちょうどよく、今でもサークルに入らなくて全く問題なかったと思ってます。

友人関係も想像以上に良好で、1年次は10人弱で誕生日パーティーなんてのもやりました。陽キャなら当たり前にするのかもですが(?)、こうして割と盛大にやったのは生まれて初めてでした。餃子作ってロシアンルーレットとか、今思うと割と凝ったことしてたなって。

③大学生活について

基本的に家と大学を行き来する生活だったため、田舎だからどうとかそういうことはありませんでした。
また、ゴールデンウィーク時は(高校時代の)部活の大会で後輩を応援しに行く予定があったため帰省しました。
(このとき「地元って割と便利なトコだったんだな」と思い、そういう意味では縁もゆかりもない地方への大学進学は無駄じゃなかったのでは?と思いました(良いのかこれ?)

で、割と恵まれた生活を過ごすことができ、試験も特に苦戦することなく無事夏休みを迎えました。
(夏休みは地元で自動車免許を取りました。本免学科試験はまさかの100点満点で、警察官に褒められたのは良い思い出です(結局ペーパードライバーだけど)

後期

①気持ちの変化

後期に入り、この頃には転学する気持ちはほとんどなくなっていました。「なんかもう転学とか面倒くさいな」という気持ちが大きかったです。
しかしモヤモヤする気持ちが消えることはなく、この頃から就活を意識するようになりました(結果的に意識しなくても良かったけど)。とりあえずは話のネタ、特に「就活でのネタになる」を行動指針にするようになりました。

②語学

転学をやめ、学内で将来を見据えて何か行動しようと考えたときにまず思いついたのが「留学」でした。
就活ネタの定番にして実用的なネタです。が、留学費用を稼ぐほどのやる気はなかったし、英語が苦手でした。
とはいえ何かしたいと思い、当時大学が募集していた訪日留学生との交流会に参加しました。

訪日留学生との交流会について少し説明すると、日本に訪れた留学生と二泊三日で行う学生交流で、自分にはクッソキツかったです。そもそも自分がコミュ障すぎて日本人学生とすらまともに意思疎通できなかったし、夜中に英語で人狼ゲームが始まったときには途中逃げ出して寝たフリとかしてました。(笑)

③アルバイト

この頃からアルバイトを始めました。居酒屋の厨房バイトでした。
地方ということもあり時給が低く(東京の最低賃金未満)、当時は地元の最低賃金より低かったため極めてやる気がなかったですが、まかない料理が出たのでそれだけは救いでした。
当初は週2〜3程度しか入ってなかったですが、12月になると状況は一変し、忘年会シーズンは忙殺されました。
この頃から「忘年会とかいうクソ風習廃れろ」と思うようになりました。

若干話はそれますが、厨房は忙しくなると明らかに殺気立つから怖いです。が、終わったあとの「終わったー」って感じの雰囲気は結構好きでした。緩急激しい職場といえるかも。大学1年次は大晦日までバイトをし、その後急いで帰省し、数日ゆっくりしました(地元でもバイトしましたが)。

④その他

クソ講義がありました。そして人生初の落単を喫しました(笑)
内容はプログラミングの講義でしたが、教授は言葉を発さず、学生は市販の本を読んで書かれている課題を行うというものでした。

④春休み

大学生の春休みは高校までと違ってとにかく長い!1ヶ月半〜2ヶ月弱くらいあったと思う。
しかし大学1年の春休みに自分が何をしていたか全く思い出せません。。かすかに覚えてるのは高校の友人とボーリングしたことくらい。

大学2年

前期

①ゼミ

私の通う大学では1・2年合同で行う科目があり、いわゆる研究室やゼミの前哨戦(?)のような科目がありました。
1年前期・後期と別々のものを受けましたが、2年前期はなぜかゼミのリーダーに。
あまり良い記憶はありませんが、就活のネタにはなりました(エントリーシートに埋めたりとか)
このゼミでは会社にアポを取ってアンケート調査の依頼をしたり、買い物客に突撃してアンケートを書いてもらったりなど、割とアクティブな調査をしました。

あとこれは余談ですが、学内発表のあと教授の都合でシンポジウムに参加することになり、某県知事や某社長の前で発表するなどしました。カミカミだったけどこれも就活のネタになりました。

第二外国語

自分の大学では2年次に第二外国語が必修であり、私はロシア語を選択しました。理由は当時「ガールズアンドパンツァー」というアニメを観ていて影響を受けたからです。カチューシャかわいいよカチューシャ。
巻き舌のエルと巻き舌じゃないエルがあったり、男性名詞や女性名詞、中性名詞など、英語とは違った要素も多くて楽しかったです。
【蛇足】「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」「ヤー(私)」「ダー(はい)」「ニェート(いいえ)」「ハラショー(素晴らしい)」「スパシーバ(ありがとう)」「ユニベルスチエート(大学)」「ボーシチ(ボルシチ)」「ダスビダーニャ(また会いましょう)」「イクラ(イクラ)」etc…など、断片的な記憶でスペルはもう書けないですが、色んな言葉を覚えました。

当時を振り返ってみての後悔として、ロシアに留学すれば良かったなって(当時ウラジオストクに安く留学できる話が学内で出ていたものの、数万円の金すら無かったためスルーしてしまいました。。)

③その他講義について

学業に関しては1年の頃よりは面白くなりました(2年以降は専門性のある講義も増え、選択できる講義も増えた)。

後期

①居酒屋のバイトについて

1年後期から始めた居酒屋の厨房バイトを辞めました
ここであんまりバイトの話をしても仕方ないですが、待遇面はやはりよろしくなかった。
時給がイマイチな上に午後10時以降も時給が固定でした(法的にええんか?)
あとは学生バイトでたびたびある「辞めるときは次のバイトを連れてこい」ってやつ。
初めは友人の友人や後輩に声をかけたりもしたけどなんかもうめんどくせーなと思い、結局そのまま辞めました。
電話は全スルーしました。

あとこれは居酒屋バイトあるあるかもですが、辞めてからもしばらくは「いらっしゃいませー!」って言葉を聞くと反射的に復唱してしまいそうでした(笑)あとは飲食店に来ると厨房の中を一瞬見てしまう、とか(笑)

結果的に居酒屋バイトは辞めましたが、飲食店で働いている方たちに自然と敬意を払うことができるようになったなど、良い経験となりました。それにアルバイトは就活の鉄板ネタになるし。
また、これ以降一切バイトをやらなかったのかと言われるとそんなことはなく、帰省したときに地元の飲食店などでバイトはしてました。

②講義について

大学2年にもなると「サボること」を覚えました。多くの大学生もそうなりがちとは思いますが、私の場合、友人から「クズ」「サボり」「久しぶり」と呼ばれるレベルでした。
とはいえ少なくない学費がかかっているため単位はちゃんと取ってました(全く誇れませんが……)

※一応言っておきますが、サボりを推奨しているわけではありません。学費を払っている以上、よっぽど興味がないもの以外はそれなりに興味を持って受けるべきだと思います。

大学前半のまとめ

前半の感想としては「割と振り返ることあったな」って感じでしょうか。
あと当時の自分の真面目なときとそうでないときの差が激しかったなって……。

基本的に学生生活に焦点を当てているため趣味の旅行の話はしていませんが、それでも削る話が出るくらいにはネタがありました。気が向いたら今回書けなかった話もいつか書きたいですね。
後半はゼミとか就活とか卒論とかについて書いていきます。

ここまでご覧いただきありがとうございました!